地域に循環するまちづくり
―お二人は、各務原市のどちら出身ですか?
木村:僕は、稲羽(市南部)出身です。中学まではそこに住んでいました。今もずっと各務原です。
大学は愛知に行ったんですけど、岐阜出身って若干言いづらかったです。岐阜って何も無いよねって言われて。稲羽出身ということもそうなんですけど、なんだか言い出しづらかった。自分がどこにいたかを隠さざるを得ない。(笑)自信がなかったんです、稲羽にしろ、岐阜にしろ。でも今はそんな風に思っていないです。
取締役の一人、木村裕一さん。
―意識が変わったきっかけってあるんですか?
木村:地元の事を知らなかったんですよ。誇れるものを知ることで考え方が変わりました。若い時は、何もないと思っていたけど、今は他県の人に自慢できます。こんな店がある。こういうものを作っている人がいる。知ることによって、一緒に何かやりたいなと思う。それをかたちにしたのが、ご縁どりなんです。
岐阜のいいものを見つけて発信することは、今までもこれからもずっとやっていきたいこと。それが僕の基盤になっている。それを今尾さんが結構やっていて・・
今尾:そこら辺の根本がわりと似てるんですよね、木村さんと。
僕も一時期、名古屋出身って偽っていました。名古屋の上の方って。(笑)わかりやすいだろうと思ってたんですけど、ある時、「私、岐阜出身なんです」っていう人と会って、めちゃくちゃ恥ずかしかった。今では、胸を張って岐阜出身だと言える。いいものがあるし、いい人がいるなって感じます。
OFCを一緒にやっている杉田さんは東京出身なんですけど、なぜ岐阜を選んだのかを聞いたときに、「基本的にどの地域も”暮らす”という目線からではあまり違いがなくて。違うのは人。なんなら人しか違わない」と言われたんです。彼女は、それで岐阜を選んで来たんですよ!
―それは嬉しいです!生活するまちを選ぶ時の基準がそこに暮らす人だということですよね。なんだか誇らしい気持ちになります!
今尾さんの出身は?
代表取締役/CEOの今尾真也さん。
今尾:那加です。子どもの頃は、OFCのあるこの辺りが遊び場でした。近くのカラオケに行ったり、名鉄パレってデパートみたいのがあって、本屋に行ったり。自転車でサウンドハンターに行ったりしていました。
木村:僕は近くの塾に通っていたので、この辺りにはよく来てました。昔、那加の商店街には歩行者天国があったと聞いたことあります。
今尾:あ、あった、あった!(笑)
木村:OFCがある場所は、思いっきり今尾さんの地元ですね。知り合いに会うんじゃないですか?
今尾:会うと思っていたんですけど、あまり人が歩いていない。昔はもっと人が歩いてた印象です。
―歩くと目線が変わりますよね。小さな変化に気づいたり、何のお店かなって立ち止まってのぞき込んだりして。
木村:今、仲間たちと駅前にシェアスペースを作っています。自分たちでリノベーションしています。
―その場所を使って、どんなことを考えていますか?
木村:今、市民公園や学びの森ってたくさんの人が集まってるじゃないですか。その人たちが駅周辺にもぶらっと足を向けてくれたらいいなと思っています。
―この商店街にある既存の店舗についてはどう考えてます?
今尾:今あるお店と一緒に商店街を盛り上げていきたいし、僕らなりにですけど、集客方法を提案していきたいです。
―尊重していくスタンスですね。
今尾:そうです。
商店街っていろんなお店があって、それぞれに枝葉を広げていく。森とか自然に似ていると、岐阜市でお世話になった柳ケ瀬商店街の理事長に言われて、すごく共感したんです。個性が生きるかたちが大切で、変に整えようとしない方がいい。統率は要らない。手を取り合うときは、しっかり取り合うという距離感が大事だと思います。
―いいですね。
今尾:この会社って、ユニットに近いと思っていて。東京事変みたいな。(笑)
立ち位置としては、まち会社のポジショニングですけど、採算よりも面白さ重視です。お金よりも、新しい価値観だとか発展や社会性が利益です。
木村:生活を支えるための軸足が別にあるから、自分のやりたいことをやれる。お金を増やすことよりも、自分の時間を楽しむ方が大事。やりたいことを発信するようにしていて、出来る人、一緒にやりたい人が現れる。人が繋がっていくんです。
今尾:仕事以外のプライベートな時間を求めているのではなく、仕事を含めたプライベートな時間。「面白い!」を真ん中に置いている自由さがこのまち会社の特長かも知れません。楽しむことを追いかけていたら、仕事になっていたというか。
―自由というのは、責任をもって楽しむことを指している感じですね。楽しむときには、仕事と趣味の境目がないということでしょうか。まち会社としては、すごく際立っている印象です。
今尾:各務原って面白いよねってよく言われます。もっと面白くしたいと考えるとき、かかみがはら暮らし委員会のメンバーの顔が浮かびます。この人たちが楽しんでくれたらいいなと。学びの森や市民公園でのみんなの活動を見ていて、まち会社を起こしたんです。土地の価格も含めて、面白いことを始めやすく、動きやすいまちだということもありました。
OFCはいろんな人が、「やりたい、楽しい」で関わっていくきっかけになるといいなと思っています。やりたい人が手を挙げたら受け止められるまち。これって、このまちの性格かもしれないです。実験的に、話し合いながら価値観を築きたい。自分が初めて事業を立ち上げたときに、たくさん助けていただいた。その恩返しをしていきたいと思っています。お金だけじゃなく、情報、知識、人脈。未来に期待して投資する。そんな会社を目指しています。
「地域で踏み出すはじめの一歩」というテーマで、トークイベントが行われた。ゲストは、シェアビレッジ村長の武田昌大さん。
6月22日、OFCにてキックオフイベントが行われた。
その会場で、十六銀行地方創生部・山口岳人さんとお会いした。OFC担当の山口さんも、実は各務原出身だという。
十六銀行地方創生部の山口岳人さん。
―各務原で過ごされたのは、何歳ごろですか?
山口:中学を出るまで稲羽で育ちました。畑があって、土のにおいがする。飛行機の音がする環境は懐かしく感じます。ほっとするイメージです。
―印象に残っている思い出とかあります?
山口:総合運動公園でしたっけ?電線がない所で、凧揚げした思い出があります。あと毎週、市民公園にある中央図書館にも通っていました。小学生の時に黙って木曽川に遊び行ったことがあり、こっぴどく叱られた記憶もあります。
―一個人として、今回のOFC設立についてどう思われますか?
山口:投資というスタイルは、他で聞いたことがないですね。融資の審査だと、過去の決算書をもとに判断するのに対して、今回のような投資は、その事業の将来性を見つけてお金を出すイメージ。小さくても新しい何かをスタートしたい人にはいいきっかけになるはずです。そういう後押しをするのは、面白いですね。
―正直、今後どうなると思います?
山口:やってみないと分からないですね。(笑)地域のマインドの醸成につながると思います。このエリアだったら色々やれることもたくさんあるんじゃないかと思っています。
取材の中から感じ取ったのは、各務原への底知れぬ愛着と、得体の知れないワクワク感。何が起きるかわからないからこそ、楽しめる。驚きや発見が、未来のまちの姿に繋がっていく。
「僕の人生には、失敗という概念がない」と言い放った木村さんの顔が忘れられない。
可能性を試すことが出来る、挑戦できるまちの底力に期待したい。
株式会社 OUR FAVORITE CAPITAL
各務原市那加栄町15
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