
和やかなムードで始まった取材。2人の人柄があっての空気感が、寒い季節に熱さと笑いの絶えない時間を創り出した。各務原市出身で現在も市内在住の川口公太朗さん、聖二さんは、岐阜きっての兄弟競輪選手である。
取材場所は、2人が子どものころ空手を習うために足しげく通った市内プリニーの総合体育館。懐かしさを噛みしめながら、たくさんの話をしてくれた。競輪選手を目指したのは祖父が競輪の予想屋をしていたことで父親が競輪に興味を持ったことが始まり。そこから父親との競輪選手への道が始まった。現代版の「巨人の星」とでも言えばいいのか。
幼少期の習い事は全て競輪選手になるための土台作りと考えていたと聞いて驚いた。その頃から将来を見据えていたからこその現在、父親の敷いたレールに乗っかった人生も悪くない、それどころか感謝していると笑う。2人の素直さに感服すると同時に素直な人間が目標を叶えていくのだろうと、ひねくれている自分を反省したりもした。
私服から練習着に着替えてもらうと、屈強な身体つきが際立つ。夢に向かってペダルを漕ぐ脚は太く、硬く、逞しく。ハンドルを握る手は栄光をつかみ取るまで離さないと感じるほどに勇ましい。ここに至るまで、紆余曲折があったに違いないが、2人の軽妙なやり取りはそれを感じさせない。
兄の公太朗選手は、競輪選手になるための国家試験に2回落ちたと言う。そこからまた挑戦するに費やす年月の大変さは想像に難くない。それでも挑戦できたのは、競輪選手になるという強い信念と弟の存在が大きかったと話す。弟の聖二選手は、国家試験に一発合格。兄の苦労する姿を見ていたから、自分は絶対に1回で合格すると強く思ったと言う。学生時代からプロとしての自覚を持って練習に励み、兄の経験が自分の疑似体験として役に立ったからこそだと話してくれた。兄弟でお互いに信頼しあっている、高めあえる存在と言って笑う姿はとても微笑ましく、羨ましくも感じた。2人にしか分からない世界がきっとあるのだろう。
「競輪選手は素敵な仕事だ」。自身の仕事を素敵と兄弟で言えることがまた素敵だ。
夢は兄弟で同じレースを走ること、日本の兄弟競輪選手といえば川口兄弟と言ってもらえるようになることと口を揃える。兄弟で同じレースを走るには2人同時に良い成績を積み重ねていかなければいけない。その道のりは安易ではないのだろうがたどり着いてほしい、いや、きっと2人ならたどり着く。そう思わせてくれた。
競輪を見たことがある人も、今まで興味がなかった人も、ぜひ2人の二人四脚全力疾走する勇姿を見て、一緒に笑顔になろう。暗いニュースが続くこんな時代だからこそ、2人が追いかける夢のレーンにかけてみたい。
大松 大洋OOMATSU HIROYOSHI
石川県七尾市出身。東京でサラリーマンとして働いた後、現在は各務原市で消防職の救命士として従事させて頂いています。各務原市に住んでまだ間もなく、知らないことも多いですが、だからこそ伝えられることがあるはず。発信に邁進していく所存であります。