大概は高みを目指すことが好きで。だけど無理しなきゃいけなくなって、なかったことにするのが上手くなって。鏡の自分と向かい合わせにはなっても、向き合うことは避けがちで。
ノートのメモに目をやり、ふとそんなことを考える。
水色の空に鱗雲がゆっくり動く。空なりに少しずつ秋へ移ろおうとしている。それでもまだ真夏の猛暑が色濃く、秋が恋しい。そんな9月中旬の午後、江南関線沿いにある「魚動クライミングジム」で話を聴かせてもらった。
今夏開催されたパリ五輪。日本人女性初のスポーツクライミングのルートセッターとして挑んだ各務原出身の水口僚さん。
「ルートセッター」とは、クライマーが挑戦する壁面のルート設定を担い、様々な難易度やスタイルを決める。クライマーたちの意欲を駆り立てる重要な役割だと水口さんを通じて知った。コロナ禍終息後、初めての五輪。世界中から集まった観衆と声援が会場に熱を発した。注目度も規模も規格外だったと目を輝かせる。
クライミングを始めたきっかけは、山登り好きの父親の影響。小学生当時はクライミングジムが少なく、コーチも同級生も居なかった。居るのはおじさんばっかりだったと笑う。
ルートセッターを始めたきっかけは、曖昧で覚えていないのがまた愛嬌。ただ、「自分の自由に表現していいのが魅力。それが合っていた」と言い、「自分が創ったルートをクライマーが一生懸命に打ち込む姿が嬉しい」とはにかむ。
答えは難解でも正解は1つじゃない。準備したストーリーは書き換えられていく。それは想像を超えた感動になると声が弾む。
ルートセットは、コンペ(競技会)1週間前から始まると教えてくれた。課題となるホルダーを設定しては自身でクライミングを繰り返す。海図のない船が大海を航海するみたいだと話に聴き入る。頼れるのは実践で得た経験や個人の閃き、全身を駆使して課題を考えクリアする。その都度、体力も気力も激しく消耗、時には傷つくことだってある。揺れる想いは多くの水を地面に落とす。それでもクライマー全員を想ってまた登る。後悔するコンペにできない想いが伝わってきた。
五輪ではSNSの炎上などハプニングもあったと苦笑する。それでも次に向けての課題ができたと前を向く。偽りなく向き合った日々が、ネガティブを寸断してくれる。見据えた先の信号は常に青を灯す。外から応援する私たちが競技を知ることも重要な課題と感じた。
一番あつかった夏。ひたすらに壁と自分と向き合い、何回でもトライ&エラーを繰り返す。積み重ねた時間が連れて行ってくれた場所。五輪という最上の課題を完登。今は次の目標設定という課題を思考中で試行中。書き殴られたノートを絶賛キレイに書き換えていく途上。
「クライミングは新しい気付きをくれる。」
そう話して、ホールドを手に壁を行く。新しい気付きは次の道を築き、行き先を示す。
そこで生まれた感情は大動脈をたどり、鼓動の高鳴りを導く未知なる未来へ続く。好きが高じて踏むステップは軽く、伸ばした手は力強い。これからもきっと自分に合った正解と向き合っていくのだろう。
撮影協力:魚動クライミングジム
大松 大洋OOMATSU HIROYOSHI
石川県七尾市出身。東京でサラリーマンとして働いた後、現在は各務原市で消防職の救命士として従事させて頂いています。各務原市に住んでまだ間もなく、知らないことも多いですが、だからこそ伝えられることがあるはず。発信に邁進していく所存であります。