工業色が強いこのまちに牛がいるなんて、想像もしていなかった。
航空機や自動車関連などの産業で、県内トップの製造品出荷額を誇る各務原市。しかし、以前は酪農や畜産が盛んであり、市東部の鵜沼地区には、牛や豚がたくさんいたという。現在も、北部を連なる「各務原アルプス」の近くに小野木亘さんが、南部を流れる愛知県との境界線・木曽川のそばで山田武司さんが、酪農を営んでいる。
お二人とも家業が酪農家だったということは共通しているが、始めたきっかけは異なる。山田さんは、「自分の考えを自由に生かせる仕事をしたい」と考え、家業を継いだのに対し、小野木さんは、父親のようにはできないと考え、サラリーマン生活をスタート。しかし、仕事に忙殺され、やりがいを見出せない日々に苦悩。「家に戻った方が、自分の思ったようにできるのでは」と、家業のことが頭に浮かんだという。「酪農は、努力した分結果に表れる。これは会社組織では味わえなかった感覚」と当時を振り返る。山田さんも「全責任が自分にある。自分ですべてやることの苦労もあるが、その分やりがいも大きい」と語る。
そんなお二人は、同じ市内で牛を育てているのに、経営スタイルやこだわりがまったく違うのが面白い。
奥さんと長男の3人で酪農を営む小野木さんは、「環境にもやさしい、より安全なえさを食べさせたい」と、自家製飼料として牧草の栽培を手掛ける。牛が1年で食べる牧草は1町歩(約1ha)。バスケットコート約24面に相当する広さというから驚きだ。牛たちに与える牧草を栽培するには、既存の草地だけでは足りないと、周辺の耕作放棄地を牧草栽培に利用。牛の糞も土づくりに活かしている。さらに、ロールベールラッピングマシン(特殊なビニールで収穫した牧草を密封し、安全に長期保存を可能にする機械)を導入し、省力化にも取り組んだ。その結果、牛舎の周りには約30か所もの広大な草地が広がるまでになった。
一方、山田さんのこだわりは、牛舎に入るとすぐにわかった。舎内は整頓され、風通しも良く、臭いがしない。最初に来た時は、どこに牛舎があるのかわからなかったほどだ。いい意味で予想を裏切られた。「牛も世話する人も、快適だと気持ちいいでしょ。ストレスが少ないと、いい乳を出してくれるんです」と話す。さらに、生乳の質を高めるために、優秀な遺伝子をもつ牛の精子と人工授精させ、乳牛の改良にも努めている。「精子はこのカタログから買うんだよ。これなんかいいやろ」と、少年漫画を読んでいるかのような表情で、イキイキと教えてくれる。「生乳の出来が、価格にそのまま反映される。牛をしっかり管理することが、経営的にも良い結果につながる」と、経営者としての顔が垣間見えた。お二人の仕事に臨む真摯な姿勢が牛にも伝わり、牛たちも質の良い乳を出すことでそれに応えようとしているように感じられる。牛乳は、そうした酪農家と牛の努力の賜物なのだ。
種をまき、牧草を育て、牛が食べて、毎日栄養たっぷりの乳が搾られる。牛糞を土に還し、また種をまく。「自然相手だからうまくいかないこともある。けれど、この循環をうまく維持し続けられると気持ちいい」。牧草から育てるのは小野木さんだが、それを話題にあげたのは山田さん。小野木さんもまた、山田さんの話を聞いて、感嘆の言葉を口にする。お互い敬いあっている姿は、自分たちの仕事への誇りからくるものなのだろう。
「牛を想い育てていれば、それに牛が応えてくれる」と山田さんの奥さんが話してくれた。そうして大切に育てた牛とも別れの時がやってくる。乳が出なくなれば、飼い続けることはできないのだ。「牛たちを手放すときは、辛くてその場から逃げるんです。その時、牛も涙を流しているの」。言葉は通じなくても、わかり合っている。今日も牛や自然と向き合いながら、大きな循環の輪をつなぐ。
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