江戸時代の将軍献上米を令和の時代に再現。
御膳籾(ごぜんもみ)復活プロジェクト。
左から、服部さん、長谷さん、水野さん、河村さん
―最初に自己紹介をお願いします。
服部:各務原市農政課で、農家さんがより良い環境で農業を続けていけるように支援を行っています。今回のプロジェクトも、市の農業の活性化に繋がっていけばいいなという思いでサポートさせていただいています。
長谷:各務原市歴史民俗資料館で学芸員をしています。今回のプロジェクトに関しては、歴史的な面での監修という立ち位置で携わらせていただいています。
水野:JAぎふの販売推進課にいます。今回のプロジェクトでは、関係機関を取りまとめ、御膳籾の販売に向けたプロジェクトの進行を行っています。
河村:同じくJAぎふの地消地産推進室にいます。今回のプロジェクトでは御膳籾の栽培方法の指針や目安を示す栽培暦の作成を担当しました。
―そもそも、御膳籾とはどのようなものなのでしょうか?
長谷:御膳籾とは、江戸時代に徳川将軍に献上されていたお米のことです。籾のまま江戸城に運ばれ、そこで精米されていたので御膳籾と呼ばれています。美濃国の中でもごく限られた地域、具体的には各務郡、山県郡、武儀郡、加茂郡の幕府直轄領のみで栽培が許された特別なお米なんです。
―何代将軍の時代に作られていたのでしょう?
長谷:はっきりとはわかっていませんが、元禄7年(1694)から明治元年(1868)まで、つまり5代将軍から幕末までは各務原市での栽培が確認されています。
―この地域で御膳籾がつくられていたという歴史は、どのような経緯で明らかになったのですか?
長谷:2019年に、蘇原のとある地域の古文書を寄贈していただいたことがきっかけです。古文書を読んでいくと、やたらと御膳籾という言葉が出てくることに気づきました。その意味を調べてみると、どうやら徳川将軍に献上していた米のことらしいと。そこから、関係する古文書がありそうな地域を再度調査したり、専門家にご意見を伺ったりして、御膳籾がどういうものだったかを紐解いていきました。それまでも美濃国で献上米がつくられていたらしいという情報はあったのですが、数年の調査を経て、具体的にどこでどのように作られていたのかが明らかになったんです。
―そこから、御膳籾を復活させるプロジェクトへどうやって繋がっていったんでしょうか。
長谷:調査を踏まえ、2022年10月に各務原市立中央図書館で、企画展「御膳籾~徳川将軍も食した各務原の米~」を開催しました。すると、「各務原にこんな歴史があったなんて知らなかった」「もっと広めるべき」という声をたくさんいただきまして。この企画展をきっかけに、JAぎふで「この歴史や土地柄を活かして、何かできないか?」という話があがったそうです。
水野:私たちも「何ができるかわからないけれど一度話し合おう」と、関係機関を集めて最初の打ち合わせを行ったのが今年の2月ごろですね。調査によって当時の栽培方法が明らかになっていたので、それになるべく近い栽培方法でお米を作ってみようということになり、御膳籾の復活プロジェクトがスタートしました。今年は「特別栽培米(農薬の使用回数と、化学肥料の窒素成分量を50パーセント以下に抑えて栽培したお米)」という形での試みとなりますが、今後、極力農薬を減らすなど環境に配慮した栽培を目指しています。
―企画展をきっかけに生まれたプロジェクトだったんですね!進める上で、大変なことや苦労した部分はありますか?
水野:難しかったのは、肥料の選択や栽培暦を作る段階ですね。極力当時の栽培方法にならった肥料を使い、使えない場合は代替品を考えなければいけません。また、農薬を極力使わないようにするために、雑草をどうやっておさえていくかという技術的な課題もありました。
長谷:そもそも江戸時代の御膳籾は、めちゃめちゃつくるのが大変だったんです。将軍様が食べるお米ですから、栽培方法にも細かな決まりがありました。例えば、普通は油粕や酒粕、藁などを肥料にした上で、下肥(しもごえ)といって糞尿を肥料として入れるのですが、御膳籾では糞尿を使ってはならないため、油粕を多くしたり、代わりに干鰯(ほしか)などのお金のかかる肥料が使われたりしていました。他にも、お役所の厳重なチェックを受けないといけなかったり、見た目はいいけれど病気に弱い品種が採用されていたため、細かな管理を要したり……。古文書を読むと、当時の一般の人々の大変な苦労が窺えます。
河村:そんな歴史を踏まえて、今回使用した肥料は魚粕をベースにした有機肥料を取り入れました。今の水稲作は、化成肥料を使うことで、省力化が進んでいますが、有機肥料は、施用する量も作業量も増え、とても手間がかかるんです。
服部:現代は化学肥料や除草剤といった技術の進歩によって効率的により多くのお米を作ることを実現しているため、昔ながらの手法を取り入れることで収穫量はどうしても減ってしまいます。しかし、今回のプロジェクトでは、その背景にある歴史や、普通のお米と比べてより手間のかかる栽培方法で育てていることが御膳籾の大きな価値であると捉えています。完全に昔の通りというわけにはいきませんが、昔の作り方を見直し、有機的な栽培方法で作ることが、現代版・御膳籾の名前を冠するお米としてふさわしいだろうと。
―江戸時代の御膳籾を現代に再現するお米として作るにあたって、さまざまな面で試行錯誤されているんですね。現在の御膳籾復活プロジェクトの状況はいかがですか?
水野:11月18日、19日に行われる「2023かかみがはら産業・農業祭」でのお披露目に向けて、順調に生育が進んでいます。パッケージもオリジナルのものを作りましたので、そちらにも注目していただきたいです。
長谷:パッケージの背景には古文書がプリントされているんですが、「御膳籾を納めるのが大変だから、今年の年貢を安くしてほしい」という内容の嘆願書を撮影し、使用しています。古文書っぽいデザインではなく古文書の御膳籾に関する記述のある部分を使っているのがこだわりです(笑)。
―今年初収穫が行われる現代版・御膳籾。1年目の取組みを踏まえて、来年以降どんなことに力を入れていきたいか、今後の展望をお聞かせください!
長谷:実は今回、御膳籾について調査をするにあたり、古文書の解読は市民のボランティア団体の方々と一緒に行いました。それが調査だけで終わるのではなく、実際の米の作付、販売という商売に繋がったというのは大きな事例。これからも、新たな市の魅力の発見になるような古文書調査を行っていきたいなと思っています。
水野:栽培の面では、安定した収量を目指していきたいです。収量を増やすことが、農家さんの収益になります。今後、有機JASの取得に向けて、環境に配慮した栽培方法をどのように改良をしていくかという点も課題です。栽培技術の確立を目指し、長い目で見て改善を行っていきたいです。
服部:市の農政課としては、農家さんの高齢化や農地の課題に直面する中、やっぱり儲からないと農業を続けるのは難しいだろうなというのは日々考えていることです。そんな中、歴史的な根拠や特別な栽培方法という付加価値のついた御膳籾復活プロジェクトが始動し、実際に農家さんも「やりたい」と手を挙げてくれたというのは、今後に繋がる素晴らしいことだと感じています。これからは農家さんの収益に繋げていけるよう、各務原はもちろん県外へ向けて広くPRを行っていきたいです。
水野:販売をする立場としては、いかに市民に知ってもらうかということが一番の課題なので、まずは各務原市民のみなさまに食べていただいて、自分たちの住む地域の歴史を知ってもらえたら嬉しいです。
撮影協力:加佐美神社